出版日:2026年2月14日
紹介文
私たちは、目に見える世界がそこにあり、自分が自分として存在していることを疑うことなく日々を生きている。朝起きて部屋を見渡し、家族と会話し、仕事をし、夜眠る。その一連の流れの中で、「現実とは何か」「自分とは何か」という問いを真剣に考えることはほとんどない。現実は当たり前に存在し、自己は疑いようのない前提として感じられているからである。
しかし、ときにその当たり前が揺らぐ瞬間がある。世界がどこか薄く感じられ、自分が自分であるという感覚の根拠が曖昧になり、「なぜ私はこの身体にいるのか」「この世界は本当に存在しているのか」という問いが、思考ではなく感覚として立ち上がる。本書は、このような体験を単なる不安や異常として片づけるのではなく、意識の構造が一時的に露出した現象として捉えるところから出発する。
本書が扱うのは、長期にわたる精神疾患ではなく、多くの人が疲労やストレス、睡眠からの覚醒時などに経験し得る「一過性の意識の揺らぎ」である。普段、私たちは自分が自分であり、世界が本物であることを疑わない。しかしそれは、脳が常に自己と世界を結びつけ、「これは現実である」と確信させ続けている結果にすぎない。その働きが一時的に弱まるとき、人は存在そのものへの不安に触れることになる。
本書は神経科学、現象学、臨床心理学の知見を横断しながら、現実感や自己感がどのように脳内で生成されているのかを平易な言葉で解き明かしていく。なぜ人は突然「自分が自分であること」を不思議に感じるのか。なぜその感覚は恐怖や戸惑いを伴うのか。そしてなぜ多くの場合、それは自然に回復していくのか。こうした問いを丁寧に辿りながら、本書は「現実は与えられるものではなく、脳が作り続けているもの」という視点を提示する。
存在の揺らぎは不安を伴う体験である。しかし同時に、それは意識の仕組みを内側から垣間見る稀有な機会でもある。本書は、恐怖の正体を理解し、自己と世界の関係を静かに見つめ直すための一冊である。読者は読み進めるうちに、これまで当たり前だと思っていた「現実」という感覚が、どれほど精密で繊細な働きによって支えられているかに気づくだろう。そしてその理解は、存在への不安を単なる恐怖ではなく、意識を理解するための入口として捉え直す手がかりとなるはずである。
目次
序章 世界は本当に“外にある”のか
0.1 なぜ人は自分の存在を疑う瞬間があるのか
0.2 現実感は属性ではなく“生成物”である
0.3 その揺らぎが示す意識の秘密
第1部 現実はどのように脳で作られているか
第1章 世界を体験する“装置”としての脳
1.1 感覚入力は世界そのものではない
1.2 脳は世界を推論し、補完している
1.3 その推論が私たちの“現実”になる
第2章 自己という物語の生成
2.1 自分は固定された実体ではない
2.2 統合の仕組み:記憶・意識・身体
2.3 なぜ“自分が自分である”と感じられるのか
第3章 実在感の正体
3.1 現実は入力の性質ではなく“脳の出力”
3.2 世界を“実在”として感じさせる仕組み
3.3 実在感が揺らぐとき何が起こるか
第2部 揺らぎはどこで起きるのか
第4章 存在の境界が薄れる瞬間
4.1 意識が世界を“見失う”時
4.2 自己と現実の繋がりがほどける
4.3 なぜ突然その感覚が訪れるのか
第5章 不安の発火:世界と自分が疑わしくなる
5.1 意識の構造が露出する恐怖
5.2 “保証のない世界”を見てしまう経験
5.3 不安は現実の崩壊ではなく“統合の揺らぎ”
第6章 知覚・意識・自己のズレが作る症状たち
6.1 離人感/現実感喪失は何を示すのか
6.2 なぜ一部の人は深く経験するのか
6.3 意識の微視的な変化の多様な表現
第3部 揺らぎの意味と回復
第7章 なぜ治るのか:脳の統合の自己修復
7.1 回復は故障の修理ではなく“再編”
7.2 正常感覚が前景化する瞬間
7.3 なぜ「戻ってきた」と感じられるのか
第8章 揺らぎは何を教えているのか
8.1 自己は出来事である
8.2 現実は作られる
8.3 意識は保証を持っていない
第4部 現実は過程であり、確固ではない
第9章 人は生成され続ける存在である
9.1 自我は継続して構築されている
9.2 “安定”は結果であり、前提ではない
9.3 意識を支えるものが揺らぐとき
第10章 この現象が哲学と科学をつなぐ理由
10.1 経験の背後にある構造
10.2 現象学・神経科学・臨床心理学
10.3 個人の体験が意識の理論の材料になる
終章 世界は与えられているのではなく、生成されている
あとがき